(特集2)

■(特集) ─ 医療・福祉問題について ─


地域で医療を守り地域で医療を育てる!!

 私は医療関係者の一人として茨木市はもとより全国の医療現場を自分の目で見、自分の足でまわってきました。
また現在も政治を志す人間として、患者側の立場からも医療現場を歩き続け、医療政策を専門分野として勉強をしています。

 今、国・地方ともに医療崩壊が進行している背景には、現場を見ずに医療政策をおこなっている問題があります。
そんな中地域で医療を守り、安心して医療・福祉が受けられる街づくりを目指すには現場からの声をあげる議員が必要ではないでしょうか。今まで多くの議員が話し合ってきたのはお金の負担のことがほとんどでした。
国にお願いするだけではなく、私たちの地域や地方独自でできることはないのかを考える段階にもうきているのではないでしょうか。

■医療問題の現状

   ─ 私たちが知っている情報は正しいの? ─
<まずは知ってください>

●国民総医療費が高い。医療にかかるお金が増え続けるという話
 −後期高齢者医療制度が成立し、背景には医療費の伸びが著しく、団塊の世代の高齢化によって医療費がより伸びるためと言われたり、2025年問題において国民医療制度自体の維持が困難とも言われています。

 しかし、この発表は正しいのでしょうか。私たちは「政府が言っているから…。マスコミが報道しているから…。」だから正しいと考えていませんか。

 実は、財政制度等審議会の資料では、自己負担分を除いた医療給付費の年当たり伸び率は
  1975年―9.6%
  1985年―5.4%
  1995年―1.1%と縮小しています。
また国民総医療費総額の伸び率も
  1975年―20.4%が、2003年―1.9%まで縮小されています。よって医療費の伸びが著しいとの見解は正しくはないのです。

 そして、高齢化の影響を考えた際にも、世代ごとにかかる医療費の単価、医療内容は変化せず、人口構成だけが変化すると仮定した際の医療費の伸び率は2005年までが年当たり1・8%の伸び率が、2005年から2025年には0・8%になり、高齢化による医療費の増加スピードは鈍るとのこともわかってきています。

 ではなぜ、この数字と政府の見解が異なるのかを考えると、政府発表では厚生労働省の計算方法がおかしな方法をとるために、医療費増大のマジックがおこるのです。
どのような計算方法かと言うと、まずサンプルをとる年の直前5年間の伸び率はその後も同じ伸び率で続くと単純仮定して計算するのです。よって、現実には伸び率が減少する中で、出てくる数字が実際には矛盾するのです。

 2025年の国民医療費は、1995年発表―141兆円、1997年―104兆円、2000年―81兆円、2005年―65兆円、2008年―43兆円へと毎回下方修正しているのがその証拠なのです。
 これに対してマスコミも自身で検証せずに、政府発表をそのまま私たちに伝えるために、私たちは誤った情報をもとに、「国民医療費は高い。高い。」との神話を信じてしまっているのです。また、最近ではこの問題に対して、つじつまが合わなくなったせいか、医療費単独で議論をせず、社会保障費という名目でくくって議論することが増えているように感じます。
 でも、私たちは「私たちの医療費は高くない。他にもっと削る部分があるのではないのか。」と声をあげるべきではないでしょうか。


●医師が少ないから医療崩壊がおきているという話
 「医師不足により日本の医療崩壊がおきている。」このような記事を新聞やマスメディアにてよく見たり、聞いたりしませんでしょうか。あたかも医師が少ないので日本の医療現場の混乱がおきているように言われています。
しかし、この発表も正しいのでしょうか。

 実は、日本の医師不足は数十年前から叫ばれていました。世界の先進国の中でも、日本の医療はコストが低く、医師数も少ない。そんな中で高レベルの医療が実現できるのはマジックだとも言われていました。では、なぜ、この数年間でいきなり、医療崩壊が進んでしまったのでしょう。
 今まで医師不足の中でもかろうじて、日本の医療が成立していたのは、大学医局制度や研修医制度という仕組みが存在していたからです。医局制度は権力の集中と揶揄する声もありましたが、医局が力をもつことで、希望が少ない僻地地域への医師派遣、激務も救急現場への医師派遣ができていたのです。
 しかし、私が大学病院を担当している際に、この医局制度が力を失い、新研修医制度が始まりました。この制度を簡単に言うと、従来、医局制度のもとでは勤務先の病院を選ぶことができなかった点が、一定の診療の勉強ができる病院であれば自らが行きたい病院を選べるようになったのです。
そこで発生した問題は、若い研修医は興味のある病院しか選ばない。僻地の病院へは行かないという状況でした。
また、従来医局から各病院に派遣していた医師も、医局に新しい研修医が入ってこないと、医師のローテーションができなくなり、結局、今まで派遣していた医師を病院から引き上げざるを得ない状況になったのです。

 私は、現場で多くの医師や教授と話しをしてきました。
ある教授から「塚君、数年間で日本の医療はつぶれる。」「塚君が政治の場所に行くなら、是非現場の声をあげて欲しい。」との声をいただきました。
私は、この新研修医制度は現場を知らない人間が創った制度であると考えています。医師の数を増やしてから、制度を導入すれば素晴らしい医療制度ができたと考えますが、順序が逆だったために、日本の医療が崩壊したというのが現状なのです。


●ジェネリック医薬品(後発医薬品)は今までの薬と同じという話
 「今までの薬と同じ効果で安い薬です。」
このようなCMや言葉を聞いたことがあるでしょうか。現在、国も推進しているジェネリック医薬品の宣伝です。マスコミも政府発表をそのまま私たちに伝えるために、多くの皆さんが「同じものだろう。」と考えられているのではないでしょうか。
 実は、これも正しくないのです。
私は製薬会社に勤務し、薬を扱ってきたプロとして、この言葉には誤りがあると考えています。
 日本で、ジェネリック医薬品の使用が伸びないとの話がでます。ここで言われるのが、先発医薬品会社と医師が癒着しているからとのおかしな声です。
しかし、このようなことで、医師や薬剤師がジェネリック医薬品を使用しないのではないのです。

 では、ジェネリック医薬品と先発医薬品と何が同じで何が違うのでしょうか?
 元々、ジェネリック医薬品は先発医薬品の特許が切れた際に、製造過程などすべての製造方法がオープンになるために、安価で薬が製造できるというものです。確かにジェネリック医薬品と先発医薬品の主成分は同じものであり、この点は間違っていません。
 しかし、特許が切れても先発医薬品には守られている部分があるのです。それが添加剤というものです。添加剤で何が変わるのだろうと考えられる方もいるでしょうが、添加剤が異なるだけで、主成分が同じでも全く別な物質になるのです。
 というのは、薬は主成分や添加剤を含めて一つの物質になっており、人間の体に入ると、どこで溶けるのか、効果を発現するのかということを計算されたうえで創られています。
しかし、この一部分がわからないまま、薬を創ると先発医薬品と異なる、別の物質が生まれるのです。実際、薬学部からは、先発医薬品とジェネリック医薬品では効果の発現や使用方法が異なり、安全性が確保できないとの論文も出ています。

 この点で、現場の医師や薬剤師は、厚生労働省や後発医薬品会社に対して、先発医薬品が発売の際におこなう、臨床安全性試験や使用成績調査など、人体に入った後のデータを出して欲しいと声をあげていますが、実施されていないのが現状です。
 先発医薬品会社が多額のお金を投入しておこなっている安全調査でも副作用が見つかり、製品の販売が中止になることがあります。しかし、安全性データがないものを国は「同じものだから安全だ。」と言って、私たちに勧めるのはおかしいのではないでしょうか。
 今までの薬害の歴史を見ると、その時代、時代で、国は安全であると言ってきたものが、後世で薬害であったことを歴史は語っているのではないでしょうか。「医療費削減のためにジェネリック医薬品を使いましょう。」確かに聞こえは良いですが、私たちの命をお金のために危険にさらしているとも言えるのではないかと考えます。
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茨木市議会委員 塚 理(つか さとる) Copyright (C) 2009 Tsuka-Satoru All rights reserved.